2030年 自動車の未来

Published
Volume
7 min read
Written By
catnose
この記事は2016年8月に旧ブログで公開した記事を転載したものです

2030年。 振り返れば、ここ15年間で自動車業界は大きく変化した。 2008年にAppleがiPhoneを発売し、そこからスマートフォンが大きく世界を変えたように、自動車社会も大きく変わった(モビリティー社会が変わったと言ったほうが正確かもしれない)。人々を取り巻くモビリティーのあり方が変わるとともに、自動車業界の勢力図も一変した。

15年前の2015年、トヨタが新車販売台数で世界一を取った。そこからの凋落には日本中の誰もが驚いた。他の日本メーカーが倒産しようとも、トヨタだけは日本を支えると、誰もが思っていた。2007年まで販売台数世界一を取っていたゼネラルモーターズが、その2年後には事実上の経営破綻に追い込まれたように、トヨタも恐ろしい程の速度で失速した。最近では、倒産危機が囁かれるほどだ。もちろん、トヨタだけでない。ホンダもマツダも合わせて販売台数を大きく落としている。

原因は大きく2つある。第1に、排気規制に伴う電気自動車社会の到来。第2に、自動運転社会の到来。恐ろしいことに2つの大きな転換期がほぼ同時にやってきたのだ。

EV社会の到来

電気自動車(EV)の時代は突然やってきた。半世紀以上もの間、自動車とはガソリンと軽油で走るものだった。EVもいくつかのメーカーが発売していたものの、高価な上、充電に時間がかかり、走行距離も短く、まったく使い物にならなかった。そんな中、2015〜2025年にかけて急速にEVが普及した。なぜか。グローバルに排気ガス規制の流れが明らかに強くなったからだ。排気ガス規制は国ごとに勝手に好きなタイミングで好きなようにやれば良いというものではない。他国の目を気にして「あの国がそこまでやるならうちもやろうか」とグローバルな流れの中で推し進められるものだ。2015年頃〜ヨーロッパなどの先進国だけではなく、インド等の途上国においても、欧州レベルの規制がかけられるようになった。時に水よりガソリンの方が安い中東でさえ、EVを売らなければならない程だった。最大のEV市場である中国では、EVに対して政府が100万円近い助成金を出すこともあった。世界の流れは間違いなくEVに向かっていた。

エンジンの壁 崩壊

このEVの流れの恩恵を受けたのは、今や業界のトップに立つテスラと、大手電機メーカー、中国の新興自動車メーカーたちだった。これまで何十年間もの間、既存の自動車メーカーを新規参入から守ってきたものはエンジンだった。エンジンはとてつもなく精密な機械だ。1mmだって形が変われば故障する。0.001秒単位で、燃料の噴射やシリンダーの動きを調整している。それは匠の技に近い。そのエンジンの技術力は、新規参入の大きな大きな壁となり、既存のメーカーたちを何十年間も守ってきた。しかし、EVにエンジンは必要ない。EV時代の到来により、参入障壁がボロボロと崩れ落ちた。多くの企業がこぞって車づくり、車関連のソフトウェア事業に参入するようになった。

壁は崩壊した。新興メーカーや電機メーカーは、3Dプリンター等の最新の機械を利用したり、効率的なアウトソーシングを行ったりして、低価格帯の車をつくった。カーナビはGoogle Map、電子制御システムはGoogleのOSと、無駄なコストを抑えながらも利便性と先進性を確保した。

それにより、車業界に価格破壊が起こった。どんどんと販売価格が下がり続け、2015年時点では200万円以上出さないと買えなかった車が、100万円以下で買えるようになった。古くからの車づくりの方法を見直すことが難しい既存メーカーにとって、100万円以下で十分な性能の車を売ることは不可能だった。加えて、台数が減少したため、スケールメリットも弱まり、コストは上がる一方だ。EVはガソリン車より随分と税金が安い。燃料代も安い。所有にかかるお金で言えば「既存メーカーのガソリン車> 既存メーカーのEV車 > 新興メーカーのEV」というのは今や誰もが知っている事実なのだ。

世界的に見れば、一般大衆層は(車好きを除けば)お手頃で手に入れやすい新興自動車メーカーや電機メーカーのEVを買うようになった。その方が、購入価格も維持費も圧倒的に安いからだ。しかし、既存メーカーには長い歴史の分だけのブランドがある。多くの人が中国の新興メーカーの車より、安心できる歴史のあるメーカーの車を買いたいと思っている。これが既存メーカーの大きな支えとなった。富裕層はジャーマン3(BMW、メルセデスベンツ、アウディ)や、テスラの上級車などを買うようになった。壊れにくさで言えば、たしかに歴史あるメーカーの方に軍配が上がる。これは紛れもない事実だ。価格か、品質か、その狭間で揺れている人が特に日本では多いが、至るところで走るようになったテスラ車や電機メーカー車を見て、少しずつ意識が変わってきている。

「100万円以下の車も、そこまで悪くないな」と。

EVが欠点を克服したとき

2015年、多くの人は充電の手間と所要時間の長さから、EVは普及しないと思っていた。EVの最大のネックはバッテリーにあった。次の時代は、FCV(水素自動車)だと思っている人もいたくらいだ。しかし、EVに搭載されるバッテリー性能は日進月歩で進化し、2020年には航続距離1,000km以上のものも登場した(フル充電後に連続して走れる距離)。遠出しようとも、連続して1,000km走ることはほとんどない。旅行に行ったときも、夜間に充電をしておけば何も困ることはなくなったのだ。また、充電ステーションはそこら中にある。ホテルでも民家でもマンションでも、待中どこでも充電ができるようになった。充電時間も短くなった。スーパーチャージャーを使えば、たった10分の充電で約300km以上走れるのだ。バッテリーの交換が一瞬でできる車さえ登場した。まるでガラケーの電池パックのように、電気が空になったバッテリーを取り外し、満タンの新しいバッテリーをはめ込むのだ。このバッテリーをコンビニが取り扱うようになり、電気自動車の不便さはみるみるうちに解消された。

FCVの敗北

2015年頃、水素自動車(FCV)が日本メーカーから華々しく登場した。しかし、2025年の今となっては、見る影もない。FCVが市場に受け入れられなかった理由はシンプルだ。

  • 水素自動車を作るのに莫大なコストがかかるため
  • 水素ステーションの設置に莫大なコストがかかるため
  • 水素燃料のコストが高いため

とにかくEVに比べコストが高く、作る側にとっても、乗る側にとっても負担が大きかったのだ。

自動運転社会

2030年になると、街で見かける自動車の大半が自動運転カーになった。正確に言うと、街中を走る自家用車がぐっと減り、自動運転タクシーの数がべらぼうに増えた。自動運転タクシーは今や大人気で、都内では殆どの人が自動運転タクシーに乗る。タクシーを呼ぶのは簡単だ。スマートフォンやスマートウォッチでワンタッチ。これだけで近くにいる無人タクシーが迎えに来てくれる。タクシーに乗り込んだ後、行き先は口頭で言っても良いし(聴き取ってディスプレイに目的地候補が表示される)、バカでかいディスプレイを使って目的地を探しても良い。ディスプレイには、おすすめのレストランやアミューズメント施設が表示されている。もちろん空席情報や営業時間も把握し、今から向かってスムーズに入れるところしかリコメンド表示はされない。行き先を選択すれば、あとは目的地に着くまで車内で好きなことをして過ごせば良い。

この自動運転タクシーの最大のウリはその運賃の安さにある。ドライバーの人件費はゼロになり、燃料費(電気)も安くなった今では、1kmあたり数十円で移動ができる。その運賃の安さから、集客のために「うちのお店に来てくれるなら、そのタクシー代を負担します」というキャンペーンを打ち出してしまうレストランもあるほどだ。

自動運転タクシーは多くの人の生活を自由にした。まず、運転免許のない子供だけでも乗れる。一部のタクシー会社では月単位契約の「お迎えプラン」を売り出している。親が幼稚園や小学校に迎えに行かなくとも、自動運転カーが家まで安全に送り届けてくれるのだ。同様に、病院や介護施設と連携した定期プランが流行している。独居の高齢者でも安心して移動ができるようになった。最も自動運転に抵抗感を示すと思われていた高齢者が、積極的に自動運転カーを使うようになったのだ。

また、自動運転カーにより都心部での渋滞がみるみるうちに緩和された。「人間運転禁止」の規制があるニューヨークなんかでは、渋滞は殆ど無くなったと言っても良い。人間が運転していると、周りから白い目で見られることもあるような地域もある。

2020年頃まで流行したカーシェアリングという言葉はほとんど聞かなくなった。旧来のステーションに借りに行くカーシェアリングは今どき誰も利用していない。自動運転のタクシーであれば、ほとんどの場所に迎えに来てくれるからだ。そして無人タクシーも言ってしまえばカーシェアリングの1つの形だろう。

安全性

「自動運転は人間の運転より安全」という事実は世間の常識になりつつある。自動運転の精度は人間の運転より何百倍も精度が高い。加えて、自動運転カーが制限速度以上のスピードで走ることはない。

国際機関からは「人間が車を運転すれば毎年世界で100万人以上の死亡者が出る。一方で(信頼できる企業による)自動運転が100%普及すれば、その数は1,000人以下に減る」という試算が発表された。「車を運転する楽しみが無くなる」という理由で自動運転に反対する人の声はみるみるうちに弱まった。「個人の楽しみのために、人の命を犠牲にできるのか」そういった声に誰一人反論できなかった。今でも乗馬をする人がいるように、車好きはサーキットに行き、自己責任で好きなだけスピードを出し、運転を楽しむようになった。

2030年、都心部では、車を所有する人は、ほんの一部のもの好きな富裕層に限られるようになった。

法の整備

自動運転カーにより事故が起きたとき誰が責任を取るのか。これには多くの議論があったが、基本的には「自動運転システムの過失により、事故が発生したときはメーカーとソフトウェア会社の責任で賠償をする」ことでまとまった。自動車製造メーカーとソフトウェア会社間で契約時に責任範囲の明確な取り決めをすることで、事故が発生してから揉めることを避けているようだ。アメリカがデファクトスタンダードを作り、日本はそれを追った形だ。製造側の責任が明確になったため、メーカーは安全性向上に何よりリソーセスをつぎ込むようになった。乗客の安全確保だけでなく、歩行者との追突事故時の安全も想定しなければならない。バンパー素材を柔らかい発砲プラスチックにしたり、バンパーから歩行者用のエアバッグを噴出するようにしたりと、安全性向上のための様々な工夫がされるようになった。

とはいえ、自動運転による事故は、発生数が少ないといえど、大きく取り上げられる。本人の不注意による事故ならまだ納得の余地があるが、自動運転システムによる事故となると、被害者側は納得がいくはずがない。そして、その矛先は全て製造側に向けられる。これについては未だに多くの裁判が行われている。

2030年の日本自動車メーカー

さて、最後に2030年の日本メーカーの現実を書こうと思う。

2025年を過ぎたあたりからだろうか、トヨタやホンダ、マツダなどの日本の自動車メーカーの戦略は極端になった。1つはガソリン車・ディーゼル車を、アフリカ等の電気の安定供給が難しい地域で売ること。もう1つは、数十年間の歴史で築き上げた「壊れない・安全・高品質」のジャパンクオリティをウリにして、富裕層に高値で売ること。しかし、富裕層を相手に高級車をつくり続けてきたメルセデスやBMWは手強かった。

世界中で新車販売台数が大幅に減少している中、限られたパイを奪い合ったところで、巨大な会社を支えるだけの収益は得られなかった。いくつもの自動車メーカーがリストラを始め、中には倒産へと追い込まれたメーカーもあった。自動車を世界中に向けて、製造・販売する体制を維持するためには、恐ろしいほどの資金がかかる。10兆円を超える内部留保があろうと、3年間だってその貯金だけで生き抜くことはできないほどだ。

しかし、トヨタやホンダが潰れるときは、日本が潰れるときだ。国がなんとしてでも救うにちがいない。誰もがそう思っていた。政府もそう思っていた。裾野が広く日本を支える自動車産業を潰すわけにはいかない、本当に危機的な状況となれば、国をかけてでも支援をしよう、と。

しかし、あまりにも業界の構造が変わりすぎていた。アメリカ政府がGMを救ったときとは全くもって状況が違っていた。それはあたかも大きな穴の空いたボートのようなものだった。すくってもすくっても水が流れ込んでくる。どれだけ国が水をすくってあげようと、それはほんの一時的な救済にしかならないのだ。

「支援してもキリがない」「支援にお金がかかりすぎる」

2030年、政府はこのことにようやく気がついたのだった。日本の未来にたしかに暗雲が立ち込めていた。